平静でいられるということは・・・。

9日のすってんころりんから2週間が過ぎ、やっと手術した左手の指先の自由度が増してきました。今回の負傷の経験から、カラダとココロの痛みの他に様々なことを学びました。

18日の前日入院、4人部屋に入ったものの患者さんは、自分以外に1人。

その方と少しばかり会話した。「どうされたんですか?」「3日に自宅屋根から落ちて左足膝関節を複雑骨折して、4月いっぱい入院です」と。

昼食・夕食が済んで、看護師さんから「明日の午後から手術だから明日は食事ヌキですからね」と。まだ平静(平成)でした。

朝から点滴を装着され、午後1:30の開始を告げられた。

オペには自分で歩いていくハズだったのに、「私たちも仕事なので頼むからこのベッドに乗ってくれないか」と。

従って、天上を見ながら廊下を通りグルグル回ってエレベーターに乗せられ、「〇階です」のアナウンスが無かったので聞いたら「3階です」と。この時から平静でいられなくなりました。

そこからオペ室に入り、手術台に移乗し、心電図の吸盤やらコード類、指先には脈拍を診る洗濯バサミ。そして麻酔医が「140位で間に合いますか?」執刀医らしき人が「充分です」と。そこから「点滴が入ります、10、20、30、~80、110・・・・・」この110から先は記憶がありません。

 

「〇〇さん、終わりましたよー」

自分ではものの10分程度の感覚でしたが、所要時間はナント3時間。ずーーーっつと眠っていたのですね。全身麻酔だからそうなのでしょうが、アナタマカセの何と恐ろしいことか。妻が、8:30まで傍についていてくれました、ありがとう。ありがとう。その夜は個室(回復室)にいて、50分間隔で看護師さんが来てくれて、点滴、血圧、体温その他いろいろ処置してくれました。看護師の皆様ありがとうございました。

その夜は、朝が来るのが待ち遠しくもありました。(とてつもなく痛みはあるけど、朝飯が食べたい!)感覚が少しづつ戻るにつれて痛みが増える・・・。いたい、いたい。

 

7:30に食事をいただき、先生の回診。

「夜は眠れましたか?」「いいえ」

「痛みはどうですか?」「かなり痛いです」

「今日、退院したいですか?」「はい」

「では、何時ころにしますか?」「午後3時には最後の点滴も終わると思うのでその後に」

 

人からは、左手で良かったねといわれました。

自分では、内臓や脳でなくて良かったと思っています。(ここも問題はあります)

一連のことを振り返ってみると、命の大切さと、生かされているということ、お世話して下さった人の有難み、そして最後の頼みは医者なんだなーと。

高額医療費の上限の申請やら、生命保険の適用範囲、診断書の金額、入院手術の総額など、全てが勉強になりました。

印象に残ったこと、それは担当の看護師さんが(マスク着用なのに)美人でやさしかったこと、です。渡邊〇穂さんと書いてありました、目が色っぽいのです。(不謹慎です)

これを妻に冗談メールしたら、「それはそれは結構でしたね。それでは帰って来るまで書類を用意してお待ちしております」だって。バカだなーー、男って。

最近、春めいて路面も出ているこの頃、あの一瞬がうらめしいデス。皆様もお気を付けください。(こま)